子どもの安全だけでなく、地域全体の安全にもっと関心を持つべき

この4年間連続して、日本にいる外国人による犯罪が増加している。(警察庁:平成17年の犯罪情勢)
先日も、東京で女子大生が誘拐され身代金を要求されるという事件が発生した。
犯人は、直ぐに捕らえられたが、複数の外国人による犯罪であることが確認されている。
今朝のテレビでも報道されていたが、どうやって自分たちの身の安全を守ればいいのかということが取り上げられていた。
ドアの鍵を二重にするとか、個人情報を流出しないようにするなどの具体的な話もでていた。
それにしても、日本人はあまりにも安全に対して無防備ではないかと思う。
安全と水はタダであるという神話は、とうの昔に崩れ去っているというのに。
地域の犯罪に対する安全度というのは、やはり、地域が犯罪に関連する情報をどれだけ認識し共有しているかにかかっているのではないかと思う。
地元の団地自治会では、どこの家に空き巣が入ったという情報は回覧で回ってくる。
みんな、用心しましょうという意味で情報の価値はある。
しかし、情報量が少なすぎる。
いつ何時ころ、どこで、家のどんなところから入ったかなどの情報も知ることができれば、どんな注意が必要かの判断材料にもなると思う。
それに基づいて、地域と警察の連携でパトロールなどの活動が生まれるかもしれない。
子どもの安全も含めて、地域全体が安全により関心を示すべきだろうし、そのためには、地域の安全情報を共有することが重要であると改めて思う。

不審者から子どもを守るために、親が子どもに教えるべき事

全米犯罪防止協会NCPCのページ「見知らぬ人と危険な状況」の日本語翻訳。
見知らぬ人と危険な状況
子どもたちは、毎日お店や公園そして近所で見知らぬ人に会います。おおくの見知らぬ人は良い人ですし、正常な人々です。しかし、そのうちの何人かはそうでないかもしれません。
親は、子どもたちに不審者の怪しい行動を教える事によって、また、子どもたちに自からちょっとした用心をさせる事によって、不審者から子どもたちを守ることができるのです。
誰が不審者なのか
家族がよく知らない人はだれでも見知らぬ人です。子どもたちにとって、悪い見知らぬ人は漫画の悪党のように恐ろしく見えると考えているのが普通です。このことは、単に本当ではないということだけでなく、子どもたちにとってそんな風に考えるのは非常に危険なことなのです。かわいらしく見える見知らぬ人は、そう見えない見知らぬ人と同じくらい危険かも知れません。
あなたが、あなたの子どもに見知らぬ人について話すとき、だれも見知らぬ人がいい人かそうでない人か彼らを見ただけでは判断できないということ、そして、周りのすべての見知らぬ人に注意深くあるべきということを説明してください。
しかし、全ての見知らぬひとが悪い人であると思わせてはいけません。もし、子どもたちは助けを必要とするとき、例えばこどもがみえなくなったり、いじめっ子に脅かされたり、あるいは見知らぬ人に後をつけられたりしたような場合など、多くのケースで、子どもたちにとってとるべき最も安全な事は、誰かに助けを求めることです。あなたが、子どもたちにどの見知らぬ人が大丈夫で信頼できる人かを示すことによって、このことをより簡単におぼえさすことができます。
誰が、安全な人か?
安全な見知らぬ人とは、子どもたちが必要なときに助けを求めることができる人です。警察官や消防士は最も分かりやすい安全な見知らぬ人の例です。先生、校長先生、図書館員も、子どもたちが信頼できる大人ですし、彼らが働いているときには、簡単にそうと認識できます。しかし、あなたは、子どもたちにいつでも可能な限りが助けを求めるために公的な場所に行くべきであることを強調することを忘れないでください
あなたは出かけたとき、安全な知らない人を指差してあげる事で、子どもたちに“安全な知らない人”を認識させる手助けができます。また、子どもたちに、助けが必要なときに行くことができる場所、例えば、地元のお店やレストラン、近所の親しい友達の家などについても示して上げてください。
危険な状況の認識と対応
おそらく、親が子どもを保護することができる最も重要な方法は、子どもに潜在的に危険な状況について用心深くなることを教えることです。この事は、見知らぬ人だけでなく顔見知りであっても善意のない大人に対処する手助けになります。自分たちに親に背くように仕向ける、許可なく何かをさせる、親に内緒にさせる、ちょっと手伝ってと頼む、また何らかで不愉快な思いをさせるなど、見知らぬ大人の怪しい行動に対して警戒できるよう助けるのです。また常識的に大人が子供に助けを求めることはないのだと言い聞かせたり、もし助けを求められる事があったら、すぐに信用できる大人を探して何が起こったかを伝えるように教えることです
子供たちに危険な状況を乗り切るすべを教える事も大切です。“嫌だ。逃げる。叫ぶ。伝える”を教えるのも一つの手段です。危険が迫った時、嫌だと断る、逃げる、大きな声で叫ぶ、何があったかを信用できる大人にきちんと伝える。と言う事です。危険な状況であれば大人に対して嫌だと口ごたえしたり、屋内であっても安全の為に大声を出したりしても構わないのだとはっきり教えましょう。子供たちがどうすべきかちゃんと知ることで自信を持たせる為に、色んな状況で練習するのがよいでしょう。いくつかの例を紹介しましょう。
公園で遊んでいたら、優しそうな人が近づいてきて、犬が逃げてしまったので一緒に探してくれないかと頼まれたらどうするか。
一度も話したことのない近所に住む女の人に、うちでおやつを食べないかと誘われたらどうするか。
見知らぬ人が下校中に家まで車で送ってあげるよと声をかけてきたらどうするか。
誰かが自分の後をつけてきていると感じたらどうするか。
顔見知りの大人が自分にされて嫌なことを言って来たりしてきたらどうするか。
その他親ができること
子供たちに危険な状況を認識し乗り切る方法を教えることの他にも、子供たちが自分の安全を守り、危険を回避できるように親がしてあげられる事があります。
常に子供たちがどこにいるかを知っておくこと。どこへ行くにも、まず親の許可を得るようルールを設けるのです。また職場や携帯の番号を子供たちに知らせておき、常に連絡を受けられるようにしましょう。
安全な場所を教えておくこと。安全に遊べる場所、安全に通れる道、何か問題が起きた時に逃げられる安全な場所を示しておきましょう。
自分たちの勘を信じるように教えること。怖いと感じたり気持ち悪いと感じたら、すぐにその場から逃げて大人に伝えるように説明しておくのです。顔見知りの大人でも時にはおかしなことをするかもしれないのだということを教え、その時にはすぐにその場から逃げて他の大人に説明することを教えましょう。必要な時には親が助けてくれるのだと再確認させましょう。
きっぱりとした態度でいるよう教えること。危険な状況であれば大人に対してでも嫌だと断ったり、逃げても良いのだということをきちんと教えておきましょう。
お友達と一緒に遊ぶよう勧めること。大勢でいる方がより安全なのです。

アメリカNCPCが教える子どもを犯罪からまもる方法

アメリカの全米犯罪防止協会NCPC(National Crime Prevention Council)という団体があり、犯罪から地域の人々を守るための様々な活動が行われている。
そのホームページで、不審者から子どもを守るために何を子どもたちに教えるべきかを教えている。
例えば、
○こどもは不審者といえば、漫画に出てくるような悪党のイメージを持っているのが普通であるが、そう思うことは非常に危険なことであり、親はそのことをしっかり子どもに教えるべきである
○こどもが犯罪に遭いそうになったとき、どのような人に助けを求めるべきか、例えば、働いているときの警察官、消防官、学校の先生などは分かりやすいが、とにかく公的な施設に助けを求めるべきであり、普段から親はこどもと一緒に町にでたときに、しっかりと誰に助けを求めるべきかを認識させる必要がある
○誰かにつれていかれそうになったなどの危険に遭遇したときには、こどもに「行かない」「逃げる」「出来る限り大声を出す」「そして、そのことを信頼できる大人に話す」ことを教えなさい
などと細かく指導している。
今、日本においても子どもたちに教えている事は、これと殆ど同じである。
犯罪の多いアメリカでも、基本は同じということのようである。

不審者とは? そしてどうやって見抜く?

日経BPに「不審者を見抜け」という記事が掲載されていた。
安全生活アドバイザーとして著名な佐伯幸子(さえき・ゆきこ)氏の記事である。
氏の記事は、「そもそも不審者とは?」という問いかけからはじまっている。不審者とはそこに居ることが不自然な人、不自然な挙動をしている人など、何かが違うというような人のことを指すと考えられるが、そう簡単にはそれを見抜くことは難しい。その意味で、常態と異なる身近な変化に、我々はもっと注意を払うべきであるということを主張している。
確かに、不審者が現れた場所を地図に書き込み、地域全体で情報を共有し、お互いに連携して子どもたちの安全を守りましょうということで安全マップ”スまっぷ”をはじめたわけであるが、ここで言っている不審者とは、殆ど犯罪者に近い人であり、例えば学校帰りの子どもが見知らぬ人から声をかけられ、連れて行かれようとした場合などのことが不審者情報として扱われている。
”いつもと違う”という日常的な変化に、我々がもっと注意を払っていれば、危険に対してもっと敏感に対応できるようになるであろうし、仮に犯罪が起きてしまった場合においても、その情報は事件の解決に役に立つであろう。
その意味で、”スまっぷ”は、よりリアルタイムの情報、あるいは日々変化する情報を共有するための仕組みとして運用していきたい。

ニュージーランドでは、こどもが14歳になるまで一人歩きを禁止

たまたまTVを見ていたら、ニュージーランドの農村に住んでいる家族の生活ぶりが放送されていた。
そのなかで、ニュージーランドでは、子どもが14歳になるまでは親は子どもを外でひとり歩きさせてはいけないということが、法律で決められていると報じられていた。
ニュージーランドは、自然が豊かで犯罪も少なく理想的な生活ができる国とのイメージがあったので、早速ニュージーランドの犯罪事情をインターネットで調べてみた。
外務省の海外安全のページに掲載されているデータによると、日本と比べて犯罪件数はかなり多く、性犯罪などは日本の約31倍ということである。
調べていると、家で子どもだけで留守番をさせてはいけないということも法律できめられているらしい。
これでは、四六時中、親はこどもと離れなれず、子どもがなかなか自立できないのではないかと別の意味での心配も出てくるが、それほど子どもにとって、地域社会が危険な場所であるということを示しているのだろう。
一方、日本における最近の藤里町の事件や栃木の事件などを見てみても、日本でも子どもを守るためのなんらかの法律が必要になってくるのではないだろうか。
TV局は、こどもの事件が起きると、現地の中継などを含めかなりの時間をとって報道しているが、犯罪者の像や犯罪の背景に目を向けた報道が中心であり、子どもたちを守るために親や地域社会、さらに国は何をすべきがというような、事件から何を学ぶべきかということについての報道は少ない。
これでは、こどもの安全はいつまでも守れないのではないかと不安になる。

子どもが犠牲となる事件が、なぜ地方でおきているのか

秋田県の藤里町でおきた小学校1年生の殺害事件は、いまだ解決されていない。
栃木県の事件も、未解決のままである。
広島で起きた事件も含めて、子どもたちが通学路で犠牲になる事件は、都会よりもむしろ人口の少ない地方で起きていることが不思議でならない。
藤里町などは、世界自然遺産にも指定されている白神山地の郷でもあり、まさに自然環境に恵まれており、また、人口も少ない事から地域に住む人々のコミュニケーションは、都会に比べてずっと保たれているのではないかと推測できる。
子どもたちの通学路の安全は、地域コミュニティの連携によって守られるとすれば、藤里町は、都会よりもずっと安全なはずである。
それなのに、どうして事件は起きたのだろうか。
いくら考えても、答えは浮かんでこない。
豪憲君は、集団下校で友達やその保護者と一緒に帰り、最後、家までのあと僅か100m程度の短い距離で、一人っきりになってしまったあと、事件に遭遇している。
犯人は、待ち伏せしていたとしか思えない。
犯人像がまったく分からない中、どんな理由があって豪憲君を殺害することに至ったのか想像すらできないが、子どもの通学路の安全は、生半可な地域コミュニティの連携ということでは解決できないということを見せ付けられたのである。
しかし、それでも子どもたちの安全は、親・地域そして学校が連携しなければ守れない。どうすればいいのか、重い課題である。

またも、子どもが通学路で犠牲

 秋田県藤里町粕毛家(かすげいえ)の後(うしろ)、自営業米山勝弘さん(39)の二男で町立藤里小1年豪憲(ごうけん)君(7)が下校途中の17日午後、行方不明になった事件で、18日午後3時ごろ、自宅から約10キロ離れた同県能代市二ツ井町荷上場下中島の米代川沿い市道脇の草むらで死亡しているのが見つかった。
[読売新聞社:2006年05月19日 03時16分]
またか、どうして・・・と絶句するばかりです。
この事件より1月ほど前の近所の女の子が水死した事件との関係も取りざたされています。
都会にありがちな隣近所のコミュニケーションが殆どないまちでの事件ではなく、まさにコミュニティが成立していると思われる地域で発生した事件ということを考えると、コミュニティのあり方についてもう一度見直さなければならないのかもしれません。
しかし、子どもが集団下校しているにも関わらず、最後に一人になった自宅までの僅か数十メートルで行方不明になったということですので、やはり最後は親が迎えに行かなければ子供の安全は守れないということではないでしょうか。
親が仕事をしている場合の対応の仕方など、解決すべき課題もあるでしょう。
どうすれば、こどもの安全が守れるか、それを話し合うのは学校だけでなく、コミュニティの役割でもあると思います。

子どもが安心して遊べる公園とは

子どもが被害者となる凶悪な犯罪事件が相次ぐ中、当然、子どもたちは一人で公園で遊ぶことなど出来なくなり、仕方なく家の中で遊ぶことが多くなってくると思います。このことは、子どもの教育という面でも問題にならないか気になります。
どうすれば、子どもが安心して遊べる公園を復活できるのでしょうか。
つくば市にはよく整備されている公園が大小含めていくつもあります。
代表的な洞峰公園には筆者も良く行きますが、池の周りを散歩していると、とてもすがすがしい気分になることができます。
しかし、犯罪が起きる可能性を意識してみれば、やはり「入りやすく、見えにくい場所」でもあり、その可能性が無いとは言えません。
それでは、子どもを安心して遊ばせることができる公園とは、一体どんな公園なのでしょうか。
・公園の中で子どもが遊んでいる状況が常に人目につくようになっている。
・公園や公園の周辺は、整備されていて地域の人が集まりやすい環境である。
・子どもの遊び空間にできるだけ死角がないような設計がされている公園である。
・子どもの遊びを見守る大人がつきそっている
・公園内でなにか問題が発生したときに、直ぐに外部と連絡ができる設備等が設置されている
・樹木の手入れが行われていて、見通しが利く
・防犯を考慮したトイレが設置されている
などなどいろいろと考えることができます。
しかし、これでも問題が完全に解決できるとは限りません。
スポーツ公園、自然公園、動物公園、町内の人が利用する小さな公園など、公園を作るときの目的によって、公園の機能も異なってきます。それによって、設備や公園管理の体制も異なってくるでしょう。
子どもが安心して遊べる空間としての公園をつくる事も社会の重要な責任の一つではないでしょうか。
そんな意味で、つくばの公園を見守っていきたいと思います。

携帯への不審者情報配信のルールを明確に

不審者情報を子どもたちの保護者がもつ携帯へ配信するサービスが普及してきたようです。
例えば、大阪市教育委員会でも、昨年10月から子ども安全メールと称して、携帯への不審者情報サービスを開始し、その後2ヶ月間で130件のメール配信がされたそうです(大阪日日新聞より)。平均すれば1ヶ月に60件以上のメールになり、そのメール数の多さに驚きます。
このようなサービスは、既にスまっぷでも運用していますが、昨年9月からの運用以来これまでに5件程度ですので、それほど多くはありません。緊急を要する不審者情報は少ないほうがそれだけ地域の安全レベルが高いと評価できると思いますから、それ自体は問題ではないのかもしれません。
しかし、携帯メールによる不審者情報の提供についてはいくつかの課題があると考えています。
一つは、メールを受けた保護者が、それによってどのような行動をとるべきかを明確にすることが困難ということです。
おそらく、こんな事件が発生したので注意しましょうということになるのではないでしょうか。しかし、1ヶ月に60件以上のメールが届いたとしたら、次第に感覚が麻痺してくる心配があります。「またか」ということで、内容をよく読むことすらしなくなることも考えられます。
確かに、携帯メールを利用した伝達は、従来の電話等による方法に比べて格段にスピードアップされます。しかし、そのことが防犯につながらないのであれば意味がありません。
また、不審者情報の確かさというのも課題と考えます。
例えば、先の大阪の例では、「女子小学生が五十すぎの見知らぬ女に声を掛けられ、腕を無理に引っ張られた」「登校中の男子小学生が車に乗った男一人と女二人から『車に乗せていったろか』と声を掛けられた」というような内容が携帯に配信されているそうです。これらの例は確かに誘拐未遂というような悪質な内容ですので緊急連絡の必要性が高いと思われますが、不審者情報の定義を明確にしておかないと、単に道を尋ねるだけの行為についても不審者情報の扱いをされかねません。
アメリカでは、アンバーアラートという仕組みがあって、子どもが誘拐されると地元の放送局や高速道路の掲示板等に、その情報が流され誘拐犯から子どもを守る協力を呼びかけるそうです。
この場合、アンバーアラート発令の3つの必須条件というのがあって、
 ①警察サイドが、18歳未満の子供が誘拐された事実を確認すること
 ②誘拐された子供が、現在、危険な状態にあると考えられること
 ③以下の情報を公開することにより、子供の命を救えると考えられること
   ・誘拐された子供の、年齢、身体的な特徴、着衣
   ・誘拐犯の、年齢、身体的な特徴、着衣、仕事・関係などの情報
   ・誘拐に使われていると思われる車の車種、色、年式
この内容がそのまま日本に適用できるかどうかはわかりませんが、このくらい明確な情報発信の基準を明確にしておくことは必要と思います。